化学教室の歩み

東京大学・化学教室の出来事 主な政治・社会史、化学界の出来事
1797 幕府、昌平坂学問所を開講 ドルトン(イギリス)が原子論を唱える(1803)
1847 宇田川榕菴、我が国初の化学書「舎密開宗」の翻訳を完成  
1855 幕府、九段坂に洋学所を開設  ペリー来航(1854)
1856 幕府、洋学所を蕃書調所と改称  
1860 蕃書調所に精錬方(化学部門)ができる
幕府、下谷に種痘所を開設(東大医学部の発祥)
桜田門外の変
1861 小川町に蕃書調所が移転、精錬方が実質的に発足(化学教室の発祥 アメリカ南北戦争(1861-65)
1862 蕃書調所、神田一ツ橋に移転、「洋書調所」と改称  
1865 精錬方を「化学所」と改称(「化学」という言葉が初めて公的に使用される) ケクレ、ベンゼンの構造を発表
1867 ハラタマ、初の外国人教師として開成所に着任 大政奉還
1869 昌平坂学問所を復興、昌平学校として開校 メンデレーエフ、周期表を発表
1871 昌平学校廃止。工部省に工学寮設置 廃藩置県 
1874 アトキンソン来日、分析化学・応用化学を担当 ファント・ホッフとル・ベル、炭素の正四面体説発表
1875 薬品精製所、化学実験所設立  
1877 工学寮を工部大学校と改称。東京大学発足
久原躬弦、アトキンソンの下の助教授に就任
西南戦争
1878 駒場農学校開設 化学会(後の日本化学会)結成
1879 第1回学位授与式。久原躬弦、英国化学会誌に論文掲載(東京大学初)  
1881 松井直吉、日本人初の教授に就任(有機化学)。櫻井錠二、講師に就任  
1882 櫻井錠二(24歳)、教授に昇任(物理化学)  
1884 久原躬弦と高松豊吉、教授に就任  
1885 理学部、本郷へ移転。理学部より工学系の学科が独立
松井直吉・久原躬弦は工学系へ転出
伊藤博文、初代内閣総理大臣に就任
長井長義、エフェドリンを発見
1886 工部大学校を合併し、帝国大学設立。帝国大学理科大学化学科と呼称
ダイヴァース、帝国大学理科大学教師に転じる
 
1888 第1回博士号授与(櫻井錠二ら)  
1890 雑誌会開始(現在に至るまで続く、我が国最長の学術会合)  
1893 櫻井が第一講座、ダイヴァースが第二講座教授に就任  
1894 櫻井、ベックマン法の改良による分子量測定法開発 日清戦争。北里柴三郎、ペスト菌を発見
1896 池田菊苗、助教授に就任  
1897 帝国大学、東京帝国大学へ改称 J. J. トムソン、電子を発見
1899 ダイヴァース帰国、名誉教授となる。垪和為昌、第二講座教授昇任  
1900 ダイヴァースの胸像建立 高峰譲吉、アドレナリンを発見
1901 化学第三講座新設、池田菊苗が教授に就任 第1回ノーベル賞、ファント・ホッフらに授与
1906 化学第四講座新設、松原行一が担当 日露戦争(1904~05)
アインシュタイン、特殊相対性理論を発表
1907 日本化学会、櫻井賞牌制定(現・日本化学会賞) 東北帝国大学設立
1908 池田菊苗、うまみ成分グルタミン酸Naを発見  
1909 松原行一、教授昇任
片山正夫、可逆電池の起電力がギブスの自由エネルギーに相当することを解明
鈴木梅太郎、ビタミンB1を発見(1910)
1912 眞島利行、ウルシオールの構造決定  
1913 垪和為昌辞職。後任として柴田雄次が第二講座助教授に就任  
1914 柴田雄次、金属錯塩の分光学的研究 第一次世界大戦勃発
1915 化学科入学試験を初めて実施。
片山正夫、「化学本論」を発表。また表面張力の「片山式」提出
 
1916 化学科の建物完成(現在の化学東館) 理化学研究所設立(1917)
1918 松野吉松、錯イオンの原子価をゾルの凝結値より決定 スペイン風邪が世界的流行(~1919)
1919 東京帝国大学再編成、法・医・工・文・理・農・経済の各学部設立
東京帝国大学理科大学から東京帝国大学理学部へと名称変更
櫻井錠二退官、池田菊苗が第一講座担任に変更
片山正夫が東北帝国大学より転任、第二講座担当
柴田雄次が第三講座を担当、四教授体制となる
生物化学講座創設、医学部生化学教授柿内三郎が併任
ヴェルサイユ条約、第一次世界大戦終結
ラザフォード、α線による原子核破壊実験
1920 聴講生として女子の入学を認める  
1921 4月始業となる
分析化学講座設立、山口輿平助教授就任
 
1922 柴田雄次が分析化学講座を担任
電気化学講座設立、山口輿平が担任
化学東館建物(第二期)
ソビエト連邦成立
バンティングら、インスリンを発見
1923 化学東館竣工
池田菊苗退官、鮫島實三郎が第一講座教授に
関東大震災
1924 左右田徳郎、生物化学講座助教授に就任 高橋克己、ビタミンAを結晶化
1925 安田講堂落成
水島三一郎、デバイの分子極性を電波分散により実証
治安維持法発布
ハイゼンベルク・ディラックらにより量子力学が誕生
1926 Bull. Chem. Soc. Jpn. 創刊
柴田雄次「無機化学概要」発刊
シュレーディンガー、波動力学を発表
1927 水島三一郎、助教授就任
鮫島實三郎「物理化学実験法」刊行
真島利行ら「日本化学総覧」刊行
金融恐慌
ハイゼンベルク、不確定性原理を発表
1929 鮫島實三郎、固溶体生成理論を発表 世界恐慌
1933 明治期最後の教官であった松原行一退官、久保田勉之助が後任に。
木村健二郎教授昇任
水島三一郎、回転異性体の発見。ラマンスペクトルによる研究発表
5.15事件(1932)
中性子の発見(1932)
国際連盟脱退(1933)
1934 理学部2号館新築
久保田勉之助、教授昇任
鮫島實三郎「膠質学」上巻を上梓
キュリー夫妻、人工放射能を発見
1935 鮫島實三郎「化学論」上梓  
1936 化学東館の渡り廊下完成
柴田雄次・柴田桂太「金属錯塩の接触作用」上梓
2.26事件
1937 鮫島實三郎「膠質学」下巻を上梓 日中戦争開戦
1938 片山正夫退官。水島三一郎、教授昇任。 ハーンら、ウランの核分裂を発見
1939 左右田徳郎、教授に昇任
鮫島實三郎「物理化学実験法」上梓
第二次世界大戦始まる
1940 柴田桂太ら、シトクロームCを発見  
1941 東京帝国大学報国隊を編成
大学の修業年限を3ヶ月短縮、徴兵検査の開始
太平洋戦争開始
1942 柴田雄次退官。木村健二郎、第三講座へ配置転換、南英一・山口輿平が教授昇任
水島三一郎・森野米三ら、回転異性体の一つ「ゴーシュ型」の存在確認
英ICI社、ポリエチレンの生産開始
ミッドウェイ海戦
1943 「東京帝国大学学術大観」全5冊刊行 学徒出陣開始
1944 帝国大学新聞休刊  
1945 輻射線化学研究所創設、水島三一郎が初代所長就任
貴重な図書・実験器具を福島県白河市へと疎開
合成化学講座総説、漆原義之が教授に昇任し担当
東京大空襲
広島・長崎に原爆投下
ポツダム宣言受諾、終戦
1946 久保田勉之助退官。
漆原義之が化学第四講座に配置転換、島村修が合成化学講座を担当
東京裁判
日本国憲法発布
1947 東京帝国大学を東京大学と改称、理学部化学科と改称
島村修、教授昇任
 
1948 山口輿平退官。森野米三、専任教授に就任 トランジスタの発明
1949 東京大学(新制)設立。 湯川秀樹、ノーベル物理学賞受賞
1951 鮫島實三郎退任。赤松秀雄、化学第一講座の教授に昇任 対日講和条約調印
1953 新制東京大学大学院が発足 ワトソン・クリックら、DNAの構造を解明
1954 左右田徳郎退任。赤堀四郎(阪大教授)、本学教授を兼任し、生物化学講座を担当。8講座のうち6講座が名称を変更 ビキニ環礁にて第五福竜丸事件。本学科の木村教授が「死の灰」の分析を担当。赤松秀雄、有機半導体をNature誌に発表
1955 原子核研究所創設 神武景気(~1957)
1956 木村健二郎退任。斎藤信房、無機化学講座の教授に昇任。  
1957 物性研究所創設(港区六本木)  
1958 薬学部創設。生物化学講座の担任、赤堀四郎から江上不二夫へ 東京タワー完成
1959 生物化学講座、化学科から生物化学科へと移行
水島三一郎退任、島内武彦が物理化学第一講座教授へ昇任
 
1960 南英一退任、藤原鎭男が分析化学講座教授へ昇任 日米安保条約改定、60年安保事件
1961 化学教室発祥100周年。化学新館着工  
1962 天然物有機化学講座創設、高橋武美が教授に昇任して担当
漆原義之退任、大木道則が教授に昇任して有機化学第一講座を担当
化学新館、寄付により完成
キューバ危機
1963 化学反応学講座新設、田丸謙二が教授に昇任して担当
無機合成化学講座新設、藤原鎭男が兼任
 
1964 物理有機化学講座新設
放射化学講座は原子力工学科の建物に設置され、浜口博が教授に昇任
東京オリンピック
東海道新幹線開通
1965 大学院改組、理・医・薬・工・農の5研究科を設置。化学科は理学研究科へ
大木道則、物理有機講座へ移動。稲本直樹が教授に昇任、有機化学第一講座担当。
朝永振一郎、ノーベル物理学賞受賞
1967 佐佐木行美、教授に昇任して無機合成化学講座を担当  
1968 東大紛争、安田講堂封鎖占拠 全国で大学紛争
1969 安田講堂攻防戦。入学試験が中止に
森野米三退任。朽津耕三、教授に昇任して物理化学第三講座を担当
 
1970   大阪万博
1971 赤松秀雄退任。黒田晴雄、教授に昇任して物理化学第二講座を担当  
1973 島村修退任。向山光昭が有機化学第二講座を担当(東工大教授と併任)
向山アルドール反応の発見
江崎玲於奈、ノーベル物理学賞受賞
オイルショック
1974 向山光昭、本学専任教授へ  
1975 浜口博退官。斎藤信房、放射化学講座へ移動
不破敬一郎、教授に昇任して無機化学講座を担当
 
1976 分光化学センターを新設 ロッキード事件
1977 島内武彦退任、田隅三生が物理化学第一講座教授に就任
斎藤信房退任、富永健が放射化学講座の教授に就任
 
1978 地殻化学実験室を新設  
1981 藤原鎭男が退任、増田彰正が神戸大より迎えられ、分析化学講座教授 福井謙一、ノーベル化学賞受賞
1982 化学西館完成  
1984 田丸謙二退任。岩澤康裕が助教授就任、化学反応学講座を担当  
1986 岩澤康裕、教授昇任。不破敬一郎退任、小間篤が無機化学講座教授に就任 国鉄分割民営化。ミュラーとベドノルツ、高温超伝導体の発見
1987 向山光昭退任。奈良坂紘一、有機化学第二講座教授の教授に昇任。高橋武美退任。岩村秀、分子研より迎えられて天然物有機化学講座教授就任。 利根川進、ノーベル医学生理学賞受賞
1988 大木道則退任。岩村秀、物理有機化学講座を併任。朽津耕三退任。近藤保、物理化学第三講座教授に昇任。 リクルート事件
1989 稲本直樹退任。岡崎廉治、有機化学第一講座教授に昇任。佐佐木行美退任。齋藤太郎が大阪大学より迎えられ、無機合成化学講座教授に就任。 平成に改元。消費税導入。天安門事件。ベルリンの壁崩壊
1990 橘和夫、天然物有機化学講座担当教授に就任 ドイツ再統一
1991 分光化学センター、スペクトル化学研究センターに転換 湾岸戦争。ソビエト連邦消滅。バブル景気終焉。
1992 増田彰正退任。梅澤喜夫、北海道大学より迎えられて分析化学講座教授に就任。黒田晴雄退任。太田俊明、広島大学より迎えられ、物理化学第二講座教授に就任。  
1993 大学院重点化に伴い、理学系研究科化学専攻となる。12講座の名称変更。 衆院選で自民党敗北、細川内閣成立。
1995 岩村秀退任。中村栄一、東工大より迎えられて物理有機化学講座教授に就任 阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件
1996 富永健退任。西原寛、慶応大学より迎えられて無機化学講座教授に就任  
1997 近藤保退任。山内薫、量子化学講座教授に就任。田隅三生退任。濵口宏夫、構造化学講座教授に就任 消費税5%へ。京都議定書採択。香港返還
1998 岡崎廉治退任。川島隆幸、有機ヘテロ原子化学講座教授に就任  
1999 齋藤太郎退任。塩谷光彦、生物無機化学講座教授に就任  
2000   白川英樹、ノーベル化学賞受賞
2001   米国同時多発テロ。野依良治、ノーベル化学賞受賞
2002 21世紀COEプログラム「動的分子論に立脚したフロンティア基礎化学」(リーダー:岩澤康裕)が開始 田中耕一、ノーベル化学賞受賞
小柴昌俊、ノーベル物理学賞受賞
2003 小間篤退任。長谷川哲也、東工大より迎えられ固体化学講座教授に就任。  
2004 国立大学独立行政法人化 スマトラ島沖地震
2005    
2006 太田俊明退任。大越慎一、本学工学系研究科より迎えられ、物性化学研究室教授に就任。  
2007 梅澤喜夫退任。小澤岳昌、分子研より迎えられ、分析化学研究室教授に就任。奈良坂紘一退任。
小林修、東大薬学部より迎えられ、有機合成化学研究室教授に就任。グローバルCOEプログラム「理工連携による化学イノベーション」(リーダー:中村栄一)開始
山中伸弥、iPS細胞作成に成功
2008 岩澤康裕退任。 リーマンショック。南部陽一郎・小林誠・益川敏英、ノーベル物理学賞を受賞。下村脩、ノーベル化学賞を受賞
2009   衆院選にて民主党が勝利、鳩山内閣発足
2010 川島隆幸退任。菅裕明、東大先端研より迎えられ、生物有機化学研究室教授に就任。 小惑星探査機「はやぶさ」帰還。鈴木章・根岸英一、ノーベル化学賞受賞。
2011 化学教室発祥150周年記念式典を挙行。リーデイング大学院プログラム「フォトンサイエンス・リーデイング大学院(ALPS)」開始。
佃達哉、北海道大より迎えられ、化学反応学研究室教授に就任。
東日本大震災。福島第一原発事故
2012 濵口宏夫退任。合田圭介、UCLAより迎えられ、構造化学研究室教授に就任。リーデイング大学院プログラム「統合物質科学リーダー養成プログラム(MERIT)」開始。 山中伸弥、ノーベル生理学・医学賞を受賞。衆院選にて自民党が勝利、安倍内閣発足。
2013 化学西館改修工事  
2014 中村栄一、特別教授に就任。化学西館改修工事完了 消費税8%へ。赤崎勇、天野浩、中村修二、ノーベル物理学賞を受賞。
2015 橘和夫退任。 梶田隆章、ノーベル物理学賞を受賞。
2016 中村栄一退任。革新分子技術総括寄付講座設立。
磯部寛之、東北大より迎えられ、物理有機化学研究室教授に就任。
大隅良典、ノーベル生理学・医学賞を受賞。
2017