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新しいレーザー分光法の開発と化学反応の機構解明
無色透明な液体に試薬の粉を加えた瞬間,美しい結晶が沈殿する。打ち上げられた花火の鮮やかな色が,視野いっぱいに拡がる。目の前で起こる化学反応の不思議さに心を奪われた経験をもつ読者も多いであろう。化学反応は,化学を専門とする研究者にとっても実に魅力的な現象である。と同時に,化学反応は多くの要因がきわめて複雑に関与する手ごわい研究対象でもある。
スペクトル化学研究センターでは,最新のレーザー技術を駆使した独自の分光法を開発し,これらの分光法を用いて化学反応などの重要かつ興味深い現象を観測し,その機構を解明している。
最近の話題のひとつは,フェムト秒時間分解近赤外分光計(図1)の開発である。この分光計を利用すると,波長900から1500ナノメートルの近赤外領域での超高速時間分解測定を行うことができる。2系統の分光検出系を配置して高精度の測定を効率よく行える装置は,世界でここにしかない。

図1 スペクトル化学研究センターで独自に開発したフェムト秒時間分解近赤外分光計。測定精度を上げるために,2台の分光器(写真の上端と右下)を使っている。
スペクトル化学研究センターでは,この独自の分光計を用いて「束縛の緩い電子」を観測している。「束縛の緩い電子」とは,化学反応が進行する過程で原子核から部分的に自由になった電子のことである。このような電子を高速時間分解測定することで,溶液中での頻繁に起こる分子同士の衝突(1ピコ秒に10回程度)によって運動の記憶が失われてしまう前に化学反応の様子を調べることができる。すでに,最も基本的な化学反応の1つである電子移動反応や,われわれの生活にとってきわめて重要な光触媒反応の初期過程(キャリアの生成と反応)の解明にあたってこの分光法が大きな成果を挙げている。
ピコ秒時間分解ラマン分光法の開発と応用も,重要な研究テーマである。最近は,環境への負荷が小さい溶媒として燃料電池への応用なども進んでいる「イオン液体」の構造と物性を解明するための基本データとなる,イオン液体中でのエネルギー移動過程(図2)を観測することに成功した。

図2.ピコ秒時間分解ラマン分光計を「ピコ秒ラマン温度計」として利用することで観測したイオン液体中でのエネルギー移動過程。巨視的な熱伝導過程との比較から,イオン液体中での「局所構造」の存在が示唆された。
新しい放射光X線分光手法の開発と表面物理化学への応用
スペクトル化学研究センターは、国内の代表的な放射光施設の一つである高エネルギー加速器研究機構のPhoton
Factory (PF)に真空紫外・軟X線領域のビームラインを建設し、新しい方法論の開発に取り組んできた。2001年には軟X線ビームラインBL-7Aの再構築を行い(図3)、偏向電磁石の軟X線ビームラインとしては世界トップクラスの光強度を得られるようになった。
現在、東京大学理学系研究科を始め全国の大学の共同利用実験に供されており、表面科学や磁気科学の分野の多くの研究者が、日夜、実験に勤しんでいる。
 
図3.高エネルギー加速器研究機構・放射光研究施設(Photon Factory)にあるスペクトル化学研究センターのビームラインBL-7Aの写真(上)と長さ30 mになるビームラインのレイアウト(下).
スペクトル化学研究センターでは、このビームラインに特殊な設計を施し、空間分解型電子エネルギー分析器を組み合わせることによって、従来に比べて遥かに高速に表面X線吸収分光スペクトルを測定できる“エネルギー分散型表面XAFS法”の開発を行った。
この手法を用いると、固体表面で進行する化学反応をリアルタイムで追跡することができるようになり(図4)、自動車排気ガスを浄化するPt・Rh金属上でのCO酸化反応・NO還元反応や燃料電池の鍵となるPt触媒上での水生成反応など、環境・エネルギーに関連する重要な触媒反応の基本的メカニズムの解明に大きく貢献している。

図4.独自に開発した“エネルギー分散型表面XAFS法”によって固体表面で進行する化学反応を追跡する様子の模式図.
この他にも、有機薄膜の新しい構造解析手法として、大きな有機分子の中の特定の原子の基板表面からの距離が分かる“光電子収量軟X線定在波法”を開発している。このように、スペクトル化学研究センターでは、放射光軟X線を駆使した新しい表面解析手法の開発と応用において独自の成果を発信している。
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